尊敬する上司たちは、心の中の「割れ窓」を許さなかった

尊敬する上司たちは、心の中の「割れ窓」を許さなかった

プロフェッショナルと呼ばれる人たちには、共通点があるなと感じます。

「常にやる」習慣がある人は、いざという時も同じ基準で動ける。 一方、「今日くらいいいか」を自分に許す人は、大事な場面でもその癖が出てしまう。

上司たちの姿から、そのことを学びました。

シンクの汚れを拭く上司

新卒1年目のある日の昼時のこと。オフィスのトイレに入ると、ゼネラルマネージャーが一番端のシンクで歯を磨いていました。

その上司は歯磨きを終えると、自分が使ったシンクだけでなく、隣のシンク、その隣のシンクと、すべての水滴を丁寧に拭き取り始めました。自分が使っていない、反対端のシンクまで。

思わず「いつもそうしてるんですか?」と聞いてしまいました。

「うん、気づいたら毎回拭くようにしてる。水回りが汚い会社って信用できないって思う人もいるからね」

当時の私は、「素敵な行動だな」とは思ったものの、その真意を理解できていませんでした。オフィスには清掃業者が入っているし、ひどく汚れているわけでもないので、そこまでしなくてもいいんじゃないかな、と。

毎朝、傘立てを直す副代表

数年後、オーリーズに入社してからのこと。今度は副代表が、毎朝出社すると傘立てを整理し、乱れた椅子を直しているという話を聞きました。

今回も、気になって本人に理由を聞いてみました。

「傘立てが乱れてる会社って、ちょっと幻滅しちゃうんだよね。それに、一回『まあいいか』って見過ごすと、次も見過ごすようになる。それが癖になるのが嫌なんだ」

この理由を聞いて、数年前のゼネラルマネージャーの行動を思い出しました。

トイレでシンクの水滴を拭いていたのも、配慮とか印象とか、そういう「効果があるからやる」という話ではなかったのかもしれない。基準を体に染み込ませていたんだと思いました。

これは「割れ窓理論」っぽい

これはまさに、以前読んだ「自分に『割れ窓』を作らない」の話だと思いました。

『割れ窓理論』とは、建物の窓が割れたまま放置されていると、「この場所は誰も気にしていない」というサインになり、やがて街全体が荒れていく、という犯罪学の理論です。割れた窓という環境の荒れが他の人の行動に影響を与え、さらなる荒廃を招く。

で、これを個人の行動に置き換えると、

水滴を拭かずに無視した。傘立ての乱れを見て見ぬふりをした。その「無視した」という意思決定の事実が、自分の心の中に一つの「割れ窓」として残る。

すると、次に同じような場面に出くわした時、自分の中で「前も無視したし、今回もいいか」という判断が生まれやすくなる。過去の自分の意思決定が、未来の自分の判断基準を形作っていく。

だからこそ、2人は「無視する」という意思決定を自分に許さなかったんだと思います。水滴を拭くとか傘立てを直すとか、そういう特定の行動だけの話じゃない。

「今回はいいか」という判断を持ち込まない姿勢が、仕事の場面でも同じように出てくるんだと思います。

「今日はいいか」を口癖にしない

一回「無視する」という意思決定をすると、それが自分の心の中に「割れ窓」として残る。そして、その「割れ窓」が次の自分に「前もやらなかったし、今回もいいか」を許してしまう。

じゃあ自分はどうか。まだまだだと思います。ただ、上司たちの姿を思い出すたびに、背筋が伸びます。

彼らは、自分の心の中に「割れ窓」を作らない人たちだった。そういう姿勢を、少しでも真似できたらいいなと思っています。

この記事を書いた人

株式会社オーリーズ

インハウスエディター

頼富 穰

早稲田大学在学中、リクルートにてヘルステックサービスの拡販に従事。 パーソルキャリア株式会社でプロシェアリングサービスの法人営業・PMOを経験した後、オーリーズに入社。 BtoB/金融/人材業界の広告運用支援に従事した後、インハウスマーケティング部門に異動。現在はオーリーズブログの編集長として、コンテンツマーケティングに従事している。

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